クリニシアン・消化器関連情報

消化管内視鏡を育てた人々

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第4回 胃カメラの普及

長廻 紘(群馬県立がんセンター 院長)

   使える(臨床的に役立つ)ようになった胃カメラは、それこそ干天の慈雨の如く、全国の消化器病の診断・治療をする医師達に歓迎された。ブームといっていい状況が出現したのである。その名残りで、今も胃内視鏡のことを胃カメラという人が少なからずいる。
   (崎田先生のインタビューを続けます)
   ──胃カメラの普及について、節目となるようなことはありましたか
   「胃カメラ1000本(1000例)切りのことも話しておかなければいけないな。今では到底そんなことは理解もできないが、当時(昭和30年頃)胃カメラを1000例やるなどということは、全くの気違い沙汰であったが、とにもかくにもこれをやりとげた。この努力は微力ながら、やはり胃カメラ歴史上の一隅に残る記念すべき事柄といえよう。というのは、この1000例の撮影中に、あらゆる器械の故障を克服し、また撮影術に工夫を重ね、外来で簡単に多人数の検査を実施することを現実に可能にしたからである。」

   ──胃カメラの全国への普及はどのように行われましたか
   「3年近くかけて胃カメラ1000例を昭和30年に達成し、これで胃カメラ開発に確信がもてた。そういうことから、いよいよ胃カメラを世間に広めようということになり、昭和34年に講習会を始めました。千本普及祝いを昭和35年6月25日に、万本祝いを昭和41年6月25日に行いました(註(1))
   胃カメラ研究会は春秋行われ、第1回の会員十数名という状態から、第6回の研究会(昭和33年)の余りの盛会さに昭和34年、研究会が学会と改名され、ついで第3回胃カメラ学会(昭和36年)の折に、胃カメラの名前だけでは満足されず、内視鏡学会と改名発展し、胃カメラ学会を記念として残すという意味で第1回といわず、第3回内視鏡学会と命名された。最も銘記すべきことは、やはり昭和37年度の第4回日本内視鏡学会で、停年をひかえた田坂教授会頭の下に行われた、早期胃癌全国集計のことであろう1)。』
   このことが胃癌早期診断などを確立する基(もとい)となり、もしこのことが無かったら、胃癌の早期診断は数十年もおくれたであろうといって過言ではなかろう。
   講習会には各地の指導的な人達がよく参加してくれました。自分でカメラをできるまで微に入り細をうがち教えた。帰ってから自分で300例をこなすまで人に教えてはいかんといったが、よく守ってくださったと思います。    エーザイさんにはずいぶんお世話になりました。胃カメラの治験や講習会にも、精神的にも経済的にも助けていただいたものです。研究会を開くことにもずいぶん助けてくれましたよ。」

   ──カメラは盲目撮影でしたが、その欠点はどのように克服されましたか?
   「胃カメラに目がない、これはやはり積年の悩みであった。目がないために、あらゆる工夫をこらして、腹壁の外から、ちょうど婦人科医の指の先には目があるといわれるごとく、あたかも胃カメラの先に目があるごとき撮影法を考案してきたものです(写真1)。それはそれで、貴重な価値があるのであるが、これにさらに目がつけばどんなによかろうという長い間の夢がかなえられたのが、登場したばかりのグラスファイバーを応用したGTFなのである。ファイバースコープで胃の中をみながら、写真撮影はカメラでという、ファイバー付き胃カメラです。

(1)胃カメラ風景

(2)外人に検査をみせる崎田先生

   最初組みこんだファイバーによる観察は胃カメラ撮影のための単なる目であって、あまりよくは見えなくても致しかたなかろうという予想であったが、でき上がったものは観察力もすぐれていた。またファイバー観察のほうも胃カメラと同じく固定焦点で広角視野としたため、局部的観察は焦点調節性に劣るが、広い視野一杯にピントのあった観察は、焦点調節のわずらわしさもなく、実用的にきわめて便利であった。胃カメラ撮影でも、より的確、より優れた写真がとれることと相まって、たちまち国内に広く普及すると共に、胃カメラに目がないからと、その優秀さを認めつつも、なお広い普及にためらいがちであった欧米諸国にも、かなりの速度で輸出され始めるという状況にたち至った1)。当時崎田先生の在職された国立がんセンターには、国内はもちろん、1000名をこえる外国の学者が研修・留学に訪れた(写真2)。」

(3)胃カメラの普及状況〈Gastro. Endosco., 2(1)、41(1960)〉

(4)ガストロカメラ(GTシリーズ)販売実績(オリンパス社資料より)

註(1)

   千本切りとは別に、「昭和35年(1960年)5月に胃カメラ販売総数千台を突破したことを記念して、オリンパス光学では6月25日本郷学士館で盛大な祝賀会を開催した」という記事が学会誌の2巻2号にのっている。なお、胃カメラの出荷台数の推移を図3、4に示す。

註(2)

   これまで歴史的事項の記録を省略したが、胃カメラの歴史は次の如くである2)

   宇治らの第一回試作機ができたのが昭和25(1950)年2月。9月第4回試作機ができ、臨床での使用が始まった。同年11月「胃粘膜撮影に就いて(第一報)」を日本臨床外科学会で報告。昭和28年8月の「胃粘膜撮影法とその応用に関する研究」(東京医学雑誌61巻3号)が宇治達郎の学位論文となった。宇治は郷里(大宮)へ帰り開業し、東大分院外科では宇治の同級生の城所 仂(国際親善総合病院名誉院長)や後輩の今井光之助(東京台東区今井病院)らが胃カメラの開発をひきつぎ、主としてカラー撮影に取り組んだ。
   昭和28年9月カラーによる臨床第1例に成功。同じ頃、田坂内科でもカラー撮影を行っている。昭和30年頃から胃カメラのカラー撮影は実用の域に達した。

文献

1)崎田隆夫:胃カメラの沿革と将来・諸器械の特徴、In.崎田隆夫ほか:早期胃癌診断講座II、胃カメラ診断
2)城所 仂:「ガストロカメラ(胃カメラ)」誕生の記録、日本医事新報、昭和60年

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