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クリニシアン・消化器関連情報

消化管内視鏡を育てた人々

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第5回 ファイバースコープの登場

長廻 紘(群馬県立がんセンター 院長)

   胃カメラはすばらしい診断機械であり、日本人の器用さと相侯って、早期胃癌の診断などに大いに力を揮った。しかし、直接・リアルタイムで胃粘膜を観察できないもどかしさは、経験を積めば積むほど、症例が増えれば増えるほど、募った。全盛期を謳歌していた胃カメラであったが、不吉な暗雲(あくまでも胃カメラにとってではある)が、海の彼方から広がってきた。ファイバースコープ(FS)の登場である。前回胃カメラの販売台数の推移をグラフで示したが、ピークから急力ーブで減少している。胃FSの性能向上と逆相関していることがよくわかる。
   グラスファイバー光学系の原理はすでに1900年頃より知られていたため、これを応用した柔軟な胃内視鏡をつくろうという試みはかなり古く、1928~29年頃企てられているが、当時の技術では明瞭な内視鏡像が得られず、実用に供し得るFSを作ることができなかった。ファイバースコープの原理を発明したホプキンスは論文(Nature、1954年)が発表された後に、「2人が訪ねてきた。1人はハラショビッツ、もう1人はオリンパスの鈴木という人だ」と武藤に語ったという(内視鏡奮戦記(4)、胃と腸、1999年)。
   ハラショビッツらによってはじめて、FSが米国の胃鏡学会に供覧されたのが1957年5月で、Gastroduodenal Fiberscopeと名づけ、American Cystoscopic Makers Inc.(ACMI)社から売りだされた。このFSの優秀性に着目したのはむしろ日本の内視鏡医で、従来の胃鏡を用いる内視鏡検査のながい歴史と伝統をもつ欧米においては、FSの普及は遅々としており、しばらくは軟性胃鏡が胃内視鏡検査の主流を占めていた。日本でも胃カメラを生産していた会社ではなく、硬性鏡の歴史をもっている医師グループ、会社が中心になってFSに取組んだ。
   FSが近藤台五郎先生の御骨折りで日本へ入ったのは1962年、奇しくも、早期胃癌の肉眼分類ができた年でもある。虎の門病院で公開実技が行われた。デモを行うことを公示してなされたので、全国から同好の士が集まって6月1日行われた。その日が近藤先生の誕生日に偶然あたり、木曜日だった。近藤先生を中心とする内視鏡グループ(近藤軍団)の勉強会を木曜会と称するようになった。竹本忠良先生(写真1)は若い内視鏡医として、近藤・常岡両先生のもとで胃鏡の研鑽をつんでおられ、このデモの主役であった。FS導入当時のことをお聞きした。もう40年近く前のことであるが、昨年のことの如くよく覚えておられた(1999年7月21日、東京商工会議所)。

(1)竹本忠良先生

本誌376号表紙より

   ──先生が日本で最初のファイバースコープの検査をなさったと聞いていますが、どのようでしたか。
   「第一例は軟性胃鏡の挿入を試みたのですが、脊柱がひどく湾曲していて胃鏡の挿入ができなかった症例でした。FSの真のフレキシビリティというものを最初の症例で知りました。かつ、その例にキサントーマがあってFSの拡大視の能力も併せて知りました。微細な所見がよく見えて胃鏡の観察盲点がないという点で、視るための内視鏡として前進していると高く評価したわけです(写真2~4)。」

(2)X線透視下FGS反転時のFGSの保持

(3)FGSによる観察

右手にもつのは送気のための二連球

(4)FGSの挿入可能であった脊柱後湾の著明な老年者の症例

   ──どのような経過で胃内視鏡をなさるようになったのですか。
   私は研究テーマとして腸内細菌(菌交代現象)に取組んでいて、ミラー・アボット管を使うためX線室へ出入りしていた。小腸造影をやっていた松本道也先生がおられて、自然と自分でも消化管造影をするようになった。当時、教室(東大第3内科)の主任だった沖中教授は胃内視鏡に高い関心があり、自分の教室にだけ内視鏡をやる者がいないのを不本意に思っておられた。ちなみに第1内科は胃カメラ(崎田、芦澤)、第2内科は胃鏡(常岡)と、胃の内視鏡検査は盛んに行われていた。そこで自分が教授命令で常岡先生の所へ胃鏡を習いに行かされた(もともと内視鏡とは縁が深かったようで、入局2年目に慶應義塾大学へ気管支鏡や食道鏡の研修に行った)。常岡先生のおっしゃる言葉がよく聞きとれずに、同級生であった亀田治男、前沢秀憲両君に通訳してもらったものである。軟性胃鏡の弱点(暗い)に気付いたので、硬性胃鏡(レンズが少なく真直ぐなので明るい)を東京医科歯科大学の稲葉先生の所へ習いに行った。胃鏡研究会を作って胃学の更なる進歩をはかっていた。胃鏡に将来性あるいは普遍性があるとは必ずしも思わなかったが、胃の研究者としてやっていくにはX線と胃鏡をマスターするのが必要だと考え、続けた。丁度その頃、ハラショビッツのスコープが出現した。」

   ──胃カメラについてはどのような印象をおもちでしたか。
   「当時すでに胃カメラは普及していたが、直接眼でみるのではないので、胃カメラは内視鏡として、やはり弱いというのが偽らない印象であった(註(1))。しかし軟性胃鏡は多くのレンズを用いるため暗く、写真もとれないので、きれいな写真がとれる胃カメラの魅力も大きかった。話は先へ飛ぶが、電子スコープは近接観察にすぐれるが、胃カメラの広角で単純な写真の意義をもう一度見直して、よい点を取入れる努力をすれば、よりよい電子スコープになるような気がする。」

   ──胃鏡の御経験がFSに役立ったことと思いますが。
   「私達のグループ(近藤軍団)がいちはやく、FSの価値に気付き、使いこなすようになったのはもちろん、苦労して胃鏡をやってきたことが大きい。それにハラショビッツ鏡の欠点に気付くのも早かったわけだ。ハラショビッツのFSは視野角の狭い、アングルのないスコープでしたから、視ることが難しい領域があった。胃鏡では写真が撮れないのでじっくり時間をかけてスケッチをしたものだが、それもたいへん役立った。観察眼を養うには、スケッチをとるということが、はなはだ効果的であるが、それも胃鏡で苦労したお陰だ。じっくり病変をみる訓練・くせはFSで早期胃癌をみつけるのに、大きな財産となった。近藤先生がよくおっしゃっていたが、“内視鏡検査の基本は、あくまでも、肉眼観察にある。未熟な観察技術・観察眼しか持っていないものに、どうして立派な写真がとれるか”ですよ(註(2))。」

   ──FSの胃鏡に比べての特徴はどんな風でしたか。
   「FSによる胃内視鏡診断の進歩として、何といっても検査が簡単になり、盲点なく明るい条件で観察できるようになった。まとめると、(1)検査技術の平易化、(2)観察盲点の克服、(3)検査適応の拡大、(4)出血胃の早期観察、(5)直視下胃内視鏡観察能の向上、(6)記録性の向上などと要約することができる。
   胃鏡検査においては、胃鏡を胃内に挿入するために挿入技術の習得を必要としたが、FGSでは胃内挿入にさほど特殊な技術を必要とせず、若干の訓練を受ければ誰にでも挿入することができるようになった。被検者に与える苦痛は、胃鏡検査に比べ遥かに少なくなり、また長時問の観察が可能となった。与える苦痛が少ないために、必要に応じて繰り返し検査を行って経過の観察を行うことも極めて容易である。少数の胃鏡専門家のみに直視下胃内観察法の真価が理解されていたにすぎなかった時代から、万人が直視下胃内観察に親しみ得る時代となったわけである。」

   ──胃鏡の総括をお願いします。
   「胃鏡の成書を読んでみても、ちっともピンとこないような時代がくるかもしれない。私はそうあっては困ると思っている。100年以上の苦難に満ちた内視鏡検査法が、辛苦して蓄積した貴重な体験の受け渡しに断絶があってはならないように考えている。新しい技術の展開は、一見突如として開花するようにみえても、幾多の先人が苦労を重ね蓄積した業績を継承していることが多い。こういう意味でも、昔の内視鏡のことも、もっともっと勉強してほしい。内視鏡の歴史のなかに胃鏡の項目が、たんに本の体系上書かれているというようなことでは困るのであって、われわれはこの歴史のなかから、もっと数多くのものを学ぶことができるはずである。」

註(1):

   胃カメラ検査は挿入が容易なため、くりかえし検査を行うことは、胃鏡に比し問題なくた易くできるため、内視鏡的な胃疾患の経過追跡がさかんに行われるようになり、胃潰瘍などの経過観察が記録写真にもとづいて確実に行われたほか、早期胃癌病変およびその類似病変の経過追跡と、その病像の推移まで徹底的に分析された。
   しかし胃カメラはその構造上、最後まで克服しきれないのが盲目撮影という欠陥である。これの解決には、ファイバースコープの出現を待たなければならなかったが、やがてGTFという傑作を生み、胃カメラ検査はGTF検査法に止揚された。

註(2):

   近藤教授は昔、白黒の写真撮影を始められるまえに、多くの胃鏡専門書にものせられているような図譜集の作製を志ざされ、画家に実際に胃のなかをみせながら所見を説明し、きわめて正確なスケッチ画を集められた。今日でもその一部が残っているが、たいへんな努力であった。
   常岡教授も軟性胃鏡による記録写真撮影にかなり苦心され、露光時間が1秒くらいかかるような悪条件のなかで、かなり成果をあげている。軟性胃鏡よりも硬式胃鏡の方がレンズ構成が簡単であって、より視野の明るい胃鏡がつくれるが、稲葉英造博士の苦心した川島式胃鏡の出現によって、この胃鏡による記録写真はかなりよい成績を示した。とくにそれによる16mm映画は、胃鏡レンズによる内視鏡像のシャープさをきわめてよく理解させるものであった。しかし実際には、川島式胃鏡を用いても、いつも確実によい記録写真を残すことは容易でなく、当時われわれも膨大な失敗フィルムの山のなかで仕事をしていたものである(竹本忠良:胃と腸、内視鏡検査のポイント、医学書院、1972年)。

文献

1)崎田隆夫、竹本忠良:消化器病と内視鏡、消化器内視鏡、4、813~822(1992)

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