HOME > クリニシアン・消化器関連情報 > 消化管内視鏡を育てた人々 > 第7回 胃生検用ファイバースコープ─全ての道は早期胃癌へ─

クリニシアン・消化器関連情報

消化管内視鏡を育てた人々

掲載記事は発行時のものをそのままの形で掲載しています。最新の医療における解釈とは異なっている場合がございます。
また、執筆者のご所属・肩書きも掲載時のままとなっています。ご活用にあたりましては、クリニシアン発行年月をご確認ください。

第7回 胃生検用ファイバースコープ─全ての道は早期胃癌へ─

長廻 紘(群馬県立がんセンター 院長)

命題は生検が可能な内視鏡の開発

   ファイバースコープ(FS)の出現をもって、長い歴史をもつ胃内視鏡検査は、ついに診断器としての目的地に達した。胃の中を盲点なく自在に、リアルタイムに視ることである。しかし、初期のFSでは生検ができなかった。今日でこそ、1㎝前後の小さな早期癌ですら内視鏡所見のみで多くの内視鏡医が、自信をもって診断することができる。しかし、FSが導入された頃は、早期胃癌の肉眼分類ができた(1962年)ばかりで、内視鏡診断はまだ手探りの状態であった。胃癌の内視鏡診断のために生検は必須であった。生検が真価を発揮するのは、肉眼診断が必ずしも確実でない早期胃癌の診断においてだからである。
   胃鏡でも生検は可能で、ケナモア(1940年)は軟性胃鏡の外側に取外しできる鉗子を装着した。ベネディクト(1948年)はそれを内部に組み込んだ処置用胃鏡(flexible operating gastroscope)を発表した。常岡(1954年)は、武井と共同でこれを改良した組織採取用軟性胃鏡を作製している。歴史的には、ジャクソンによってopen-tube式硬性鏡を通して行われた(1902年)のが、最初の胃生検といわれている。しかし、胃鏡を用いた直視下生検は観察・組織採取可能部位に制限があり、胃鏡の径が15㎜を越えるほどの大きさで患者の苦痛が大きい、得られた組織片が小さいなどのため、早期胃癌を対象とした生検法としては、不十分といわざるを得なかった。胃鏡を使った生検では直視下生検法の他に、吸引生検法を併用する方法があった。トメニウス式吸引生検法といって軟性胃鏡に吸引生検装置を付属させたものである。この方法では、診断に適した大きな組織片を得ることができたが、採取部位がきわめて限定的であり、早期胃癌の診断には相応しくなかった。

改良を加えたFSが胃鏡を凌駕

   FSによって、胃内が隈なく観察できるようになったが、前記の如く、とりあえず観察用ということで生検装置は備わっていなかった。黎明期の早期胃癌診断に精力的に取り組んでいて、FSで生検のできないことにもどかしさを感じていた癌研外科の高木国夫(現林病院)は、ハラショビッツFSの外側にビニール管を装着することで、FSによる生検の第一歩を踏み出した。「直径4㎜、長さ90㎝のビニール管をテープでくっつけたが、セロテープではすぐ外れてしまい、うまくいかなかった。種々検討した結果、ポリエステルテープの固着性がよいことを見出し、好成績を得ることができた。このチューブの中へ、硬性胃鏡用の生検鉗子を通した。この際、鉗子を適当に曲げて先端が確実に視野に入るように工夫した。これによりFSのレンズ面より5㎝以内にある粘膜(病巣)から組織を採取できた。」
   海外ではベネディクトの意見に代表されるように、ハラショビッツのFSでは正確な焦点調整が、したがってオリエンテーションが難しく、従来の胃鏡にとって代わるものではないとの考えが支配的であった。それもあってファイバースコープを改良して完成することにおいて胃鏡先進地である欧米は、日本に遅れをとったのである。日本では胃カメラというすばらしい胃内視鏡が普及していたので、そのグループはファイバースコープの優秀性に気付くのが遅れた、という説もある(高木)。いずれにしても、遅れた者が進んだ者に比べて新しい方法に飛びつき易いという法則がここでも該当したようである。

本格的な生検用スコープの登場

   高木らの試みはあくまでも一時しのぎのもので、FS内に鉗子孔を組み込んだ本格的な生検用スコープの登場が待たれた。
   生検用FSは世界に先がけて日本で完成した。生検用FSは、常岡、竹本らの指導のもと町田製作所で開発が始まり、1964年3月生検用FGS第1号器(B1型)の試作が成った(写真1)。その後も改良が加えられ、B4型器でほぼ満足できるものが得られた。B4型FGSでは、観察される像の鮮明度を良好にして、びらん、小潰瘍などの病変を正確に観察できるようにするために、画角を診断用FGSと同じ50°に変更した。また固定焦点方法から焦点調節方式に変更した。その結果、細かな病変の狙撃生検が確実に行われるようになった。
   胃において生検が必要なのは、癌の診断、癌の除外診断においてのみといっても過言ではない。生検できるFSの完成をもって早期胃癌診断の万全の体制が整ったといえる、早期胃癌診断はいよいよぺースを上げてきた。

(1)生検用FGSの構造図(上:基部、下:先端部)

早期胃癌の診断に貢献する病理医たち

   どんどん診断され手術されてくる早期胃癌症例を前にして病理学者も、戦列に加わってきた。早期胃癌がようやく診断できるようになった頃の、内視鏡医の病理に教えを乞う、という態度にはまじめでひたむきなものがあった。各地で勉強会が開かれ、病理の先生を囲んで徹夜も辞さないという雰囲気であった。故人となられた村上忠重、佐野量造、吉井隆博先生をはじめとして、今なおご活躍中の長与健夫、望月考規、菅野晴夫先生らがその中心であった。
   長与先生(写真2)に早期胃癌内視鏡と生検診断、早創期の思い出をおききした(2000年1月)。
   「名古屋の中心部舞鶴公園に接して道一つ距てた交差点の近くにある横山胃腸科病院が、“僕と胃疾患病理”との出会いの場である。この病院の横山秀吉先生(90歳を過ぎた今でもカクシャクとしておられる)は内科医でありながら外科も志し、数人の友人の外科医の手ほどきを受けて自身で胃の手術切除をされるようになり、その切除胃の組織検査を僕の師匠である大島福造先生に依頼され、それまでに多少この道の経験をもっていた僕がその任に当たることになった。それは昭和27年の秋のことであった。
   先生は午前の診察を終えて、午後は毎日5~6例の胃の切除手術をするほどエネルギッシュな方で、棚瀬君という手先の器用な技師が進展固定された胃のマクロを大学ノートの左側ぺージに描き、右側のぺージに僕がその図を基にして切り出した組織標本の断面図を簡単な記号をつけて記載し、毎日夜遅くまでそれらの標本を鏡検する生活が始まった(今ではその大学ノートのナンバーが500にも達しようとしている)。

(2)検鏡中の長与健夫先生

   はじめのうちは切除胃のほとんどが慢性胃・十二指腸潰瘍か進行胃癌で、例数を増すにつれハウザーの基準を満足する潰瘍癌が散見されるようになり、時々主潰瘍とは離れた位置に偶然に小さく浅い癌病変(今でいうIIc病変)を見出すこともあり、次第にこの領域の変化の多様さにのめり込んでいった。昭和30年頃には未だ阪大に居られた久留先生をチーフとして外科の先生を主体とする研究班にも加えていただいた。僕にとってさらに幸いであったのは、名市大に移ってしばらくした昭和35年頃から内視鏡FSを使った生検組織診が開発普及しはじめ、それまでは切除胃の組織像の確認といったら裏方の知識が主であったのが、早期胃癌の術前確診に連なる陽の当る道となったことであった。このような背景の中で胃癌研究会の中に、胃癌診断のための生検組織委員会が作られ、前記の諸君と侃々諤々の議論を積み重ねてグループ分類ができ上がった(昭和44年)。」

X線二重造影法の開発

   早期胃癌の診断において内視鏡と微細診断能を競ったのがX線である。1910年に造影剤としてのバリウムが登場し、もっぱら充盈法がなされ、大きなニッシェ、陰影欠損に頼った診断法であった。その後幾多の研究者の努力によって、今日みる精緻な診断法になった。その中でも特筆されるべきは、白壁彦夫先生(写真3)のグループによる研究である。
   白壁は大腸において行われていた二重造影法を胃X線検査法に応用し、微細粘膜所見をそのまま描写することを可能にした。同僚の市川平三郎先生によると、「(白壁)先生は、何もない戦後の混乱の中で“オリンピックに出られない日本の金メダルは、世界一小さい胃癌を見つけることだ”と、凄まじい迫力でわれわれを勉励し、先頭に立って、二重造影法を開発されました。その二重造影法で、世界で初めて線状潰瘍の診断に成功し、そのレントゲン写真が、有名なボッカス教授の教科書に掲載されたときも、生涯最大の喜びだといっておられました。その後、早期胃癌の診断にも成功し、まさに世界的に革命的業績を挙げられた。」

(3)白壁彦夫先生

本誌340号(1985)より

“早期胃癌”の定義確立に集まる第一人者たち

   早期胃癌の定義は、1962年第4回日本内視鏡学会において会長の田坂定孝教授(写真4)が、その会長講演「早期胃癌の全国集計」の中で、分類法とともに提案されたものである。その際は案として提出されたが、その後それが全国的に受け入れられた形で今日に及んでいる。この講演のために症例が全国公募されるや、500例以上集まった。早期胃癌の定義をはっきりしないまま集め、集まった症例からその定義を帰納しようという雄大な構想だったようである。治った癌の中から切ったら確実に治るという条件を見つけ出すことである。胃カメラ・フィーバーの高さをうかがわせる話である。
   「田坂会長からこの問題に関心の深い胃鏡、胃カメラ、X線検査、初期胃癌の病理の人たちが委員に委嘱され、学会前の3日間にわたって田坂内科の研究室へ集められた。その世話役は崎田、芦澤(写真5)、故内海、森君らであった。(村上忠重:早期胃癌の歴史と概念、常岡健二編 早期胃癌のすべて、南江堂、1972年)」
   それから2年後の1964年、第23回日本癌学会(東京)で早くも「胃癌の早期診断」というシンポジウムが黒川利雄先生の司会で行われている。パネリストはX線・白壁彦夫(早期胃癌42例)、ファイバースコープ・竹本忠良(37例)、細胞診・信田重光(31例)、胃生検・高木国夫(13例)などといった顔ぶれで、各診断法の第一人者達が一堂に会していて壮観である。このようにして各種の診断法は早期胃癌の診断能をレフェリーとして覇を競うようになった。この2年間に早期胃癌の定義(深達度m、smの癌)は固まり、それに基づいて研究が進んでいることがうかがわれる。

(4)田坂定孝先生

エーザイ月報1959年3月号より

(5)芦澤真六先生

本誌340号(1985)より

胃癌王国ゆえに導かれた早期胃癌の診断学の発展

   「早期胃癌がかくも多数に、外科手術の対象になり得ようと、10年前だれが予想し得たであろうか?開設後3年有半、国立がんセンターで手術せられた早期胃癌の数は、すでに100例をこえる。これらの症例はいずれも、精密な検査の結果、術前に癌の確診、あるいはつよい疑診がおかれたものであって、その手術にはもちろん大きな困難を伴わず、しかもその予後には、高い安全性が保証せられている。胃癌はかくて、よく治癒し得る病気の一つと化しつつあるといい得よう。(1966年、がんセンター院長久留 勝)」
   日本で消化管とくに胃内視鏡検査が質量とも世界をリードしてきたのには多くの理由があるが、その全てに通底するのは日本人に胃癌が多いことである。目的がなければ手段もない。胃癌は死に至る病であったからこそ、その早期診断のための努力は、多すぎるということはなかった。胃内視鏡の歴史が日本という胃癌王国に流れ込んで完結をみたと同じように、X線・病理の胃癌診断も日本で完成した。それがまた内視鏡医にハッパをかけた。そして早期胃癌研究会(その機関誌が『胃と腸』)が設立され、胃癌診断に関するあらゆる人々の結集の軸となった。村上先生(写真6)による創刊の辞には次のようにある。
   「消化器病の専門化も静かにではあるが次第に進められつつあるように思われる。そしてそれには早期胃癌の診断学の発達が大きな拍車の一つになった。こと早期胃癌の診断に関する限り、X線の精密検査といい、胃カメラといい、ファィバースコープといい、さらには、生検、細胞診といい、何れも、もはや片手間にはできない知識と技術を必要とするようになった。……(中略)……幸いなことに、ほんとうに幸いなことに、私どもはわが国において早期胃癌の知識が芽生え、それが単なる病理学の興味の対象としてだけではなしに生きた診断学と結びつき、現実の臨床的な対象となるまでの経緯を逐一この眼で見、この耳で聴く機会に恵まれた。そしてこの道は今なお毎日のように進みつつある。」
   『胃と腸』が内視鏡診断学を高度のものにしつづけているのは周知のことである。

(6)村上忠重先生

本誌242号(1975)より

(7)『胃と腸』創刊号(1966年)

本誌242号(1975)より

文献

1)黒川利雄、高木国夫ら:ファイバースコープによる直視下胃生検法、消化器病の臨床、6、927~934(1964)
2)田坂定孝:早期胃癌の全国集計、Gastroent. Endosc., 4, 4~14(1962)

Eisai Group
human health care