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クリニシアン・消化器関連情報

消化管内視鏡を育てた人々

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第10回 コロノスコープの開発 その2・承前

長廻 紘(群馬県立がんセンター 院長)

スコープ開発への技術者の貢献

   内視鏡の歴史をひもとくと、硬性鏡の時代まではアイデアのある医者が、自分であるいは技術者の協力を得てスコープを作っていた。段々スコープも複雑なものになってくると医者の手におえなくなり、技術者が前面に出てくる。
   消化管内視鏡の歴史において最初の実用性・確実性のあるスコープを作ったのがSchindler(写真1)(1888~1968)であった。胃鏡も硬性胃鏡までは内視鏡医も何とか技術者と互角にわたりあってきたが、軟性胃鏡となると、実際に作る段では技術者主導とならざるを得なかった。Schindlerは硬性鏡の限界を痛感し、技師のWolfと協力して苦労の末、1932年、多くのレンズを組み合わせて、スコープを曲げても光が届く軟性胃鏡を実現した。

(1)胃鏡検査を行うSchindler

   胃カメラは宇治の名前が大きく輝いているが、杉浦睦夫(写真2)、深海正治らのオリンパス技術陣の協力なくしては完成は期し難かった。今日のようにあることが技術的に可能かどうかは計算できる時代と異なり、胃の中ヘスコープを入れて写真がとれるかどうかはやってみないと判らない時代であった。どんなに依頼者(医者)がねばっても、技術者の理解(できるという確信)がなければ実現は期し難い。
   しかし、海のものとも山のものとも判らない胃カメラ開発への投資が、次の時代(ファイバースコープ)へのスムースな移行、さらに全世界の内視鏡市場を支配しているオリンパスの今日を可能にした。

(2)杉浦睦夫氏(杉浦夫人提供)

   深海正治監修『胃カメラの技術物語』(めいけい出版、1999)に胃カメラ開発より学んだこととして、次のような文章がある。“(1)新しい考え方が芽生えて、これが実用化されるまでは、実に多くの人の知恵と、努力と、年月が必要である。(2)技術開発は一人でできるものではなく、多くの人の力を借り、その借り方如何が成功の鍵となる。(3)後で考えると当たり前のことが、非常に重要な要素になることがある。常にあらゆる事象に疑問を持って考えを進めることが大切である。(4)日進月歩、常に流れる如く技術の進歩、時代の要望をとらえて留まることなく、スピード早く行うことが技術開発の要諦であろう。そのため、内視鏡医による手技、診断方法が研究され、その過程での医師の要請を受けて、技術陣は、どんな些細なことでも真摯に受け止め改良に努めてきた。したがって、後年ファイバースコープが出現したときには、ファイバーバンドルに関連する問題以外の軟性内視鏡の要素技術はほとんど完成に近い姿にまで到達していた。”
   1954年ファイバースコープの原理がNatureに発表された。この論文は、Hirschowitz(1923~、写真3)による、ファイバースコープ(FS)開発に道を拓いた。FS以後は、内視鏡を作る会社も家内工業から近代的企業となり、専門の技術者も養成されたので、医師が出る幕もゼロとはいわないが、二義的なものとなっている。そういうわけでFSの生みの親であるHirschowitzが内視鏡開発における最後の巨人ということになる。もっと偉大なのは、原理を思いついた人であるのはいうまでもない。

(3)ファイバースコープ検査中のHirschowitz(Lancet, 1961)

   Kapany(Hopkinsは指導教官)の論文を読んだHirschowitzはロンドンに飛び協力を申し込んだが不成功に終わった。それで彼は物理学者Peterと学生のCurtissの協力を得て、1955年春にガラス線維作りから始めた。並べたファイバー束の両端の固定、断端面の研磨、ファイバーの保護など問題点は多数あったが、van Heelが発明したコーティングを実用化することが最大の難問であった。結局は高屈折率のコアーとなるが、ガラス線維の上をプラスチックの代わりに低屈折率のガラスで覆うというCurtissのアイデアが、ファイバースコープの完成に結びついた。2年間で試作品はできたが、製品化されるまでには意外に時間を要し、ACMI社から完成品が出て、その臨床成績が発表されたのは4年後の1961年である。
   医者と技術者の、最後といっていい真の意味の共同開発は、大腸鏡(と十二指腸鏡)までである。電子スコープの時代になると、スコープの目的・仕様はファイバースコープと変わらない、などといったこともあって、最初からメーカー主体といっていいと思う。前号にひき続いて、今回も、主として技術側からのコロノスコープ開発をのべる。

コロノスコープの原型が生まれるまで ―モノ作りの立場から―

   今日流通しているコロノスコープの原型を開発されたオリンパス光学より、開発の苦労をおききした。

──CFの開発経過について技術面からおきかせください。
   「大腸ファイバースコープは、その挿入部を構成する可撓管の性質をどのようにするかが重要な開発ポイントの一つでした。当初は、食道用ファイバースコープの長さを伸ばしたものを基本に試作されましたが、種々の課題の一つとして挿入部の柔軟性の低さが指摘されていました。この柔軟性を上げるために可撓管のチューブ材質を変えるなどの試みが行われました。可撓管の被覆は主にチューブを被せる方法がとられていましたが、内側のフレックスとプレードの構造体との密着性がよくないなどの課題がありました。当時心臓ファイバースコープ用の要素技術開発で取り組まれていたディッピング方式と呼ぶ可撓管の製作方法を大腸ファイバースコープヘ応用する研究が行われ実用に至りました。これはフレックス、ブレードに樹脂を浸透させて被覆を構成させる方法です。なお、現在の製品は更に別な製法で製作されています。
   問題は大腸用という直径の太さに対して、捩じれに対する剛性を確保することが最大の難関で、構造・材質の変更を含めて製造方法は試行錯誤の連続でした。設計と製造技術部隊の連携により、作っては実験し、作っては実験しての中で、ようやく適当なものができ上がったというのが実際です(理論的にこうすればよいというもののみではなく)。細かい技術的な話で恐縮ですが、例えば、芯金(可撓管を作るときの心棒のようなもの)の外側にフレックス・ブレードを被せて、次に樹脂を浸透させるのですが、作った後に、中の芯金が抜けなくなってしまいました。そこで、芯金の代わりに空気で膨らませた細長い風船を使い、フレックス・ブレードの上の樹脂の浸透が完了したら、空気を抜いて風船を抜くなどの製作現場の一つ一つの工夫も含まれています。また、X線透視によるファイバーの黄色化への対策も盛り込んでいかねばなりませんでした。
   この他にも、長いファイバーの製作、先端湾曲角の改良等々を組み入れて大腸ファイバースコープの実用化へこぎつけることができました。」

   ──スコープの長さはどのように決めましたか。
    「食道スコープをベースに長くするところから始めていますが、最初の120cmという長さは挿入テクニック上からの根拠というよりは、イメージガイドファイバーの製法上からきているのではないかと思われます。当時、長いイメージガイドファイバーを作ることははじめての試みでもありました。また、この120cmでの試用後に、さらに長さを長くしてトライしていますので。」

   ──可撓管については苦労されているようですが。
    「ビデオスコープを含む大腸内視鏡にとって可撓管の性能は重要なポイントであり、現在に至るまで継続して改良が行われてきています。例えば、捩じれに対する追従性があげられます。CFの手元側で挿入部を捩じった(回転させた)ときに、これが先端に伝えられることが必要となります。可撓管を構成する部品・材料によっては、これが伝わらなくなります。曲げに対して適度な硬さ・弾性(反発性)もあげられます。可撓管の材質等によっては“腰がない”ものとなります。また、耐久性も重要であり、曲げたときに樹脂が内部の部品に対してはがれてしまうと、曲げの特性や捩じりへの追従性がなくなり、挿入性が低下していきます。」
「これらの技術開発は、先生方の挿入テクニックを含む医療サイドから研究と車の車輪のごとくに進められてなし得たものであったといえます。」(オリンパス光学、広報室村上晋一郎氏)

ライトガイド光源

    ファイバースコープは、それまでの内視鏡にはなかったアングル、ライトガイド光源などの新たな機構がなければ、真価を発揮することはできなかった。とくに長い大腸鏡では、これらのことはスコープの死活を制するといって過言ではない。町田製作所の技術部長であった千竈(かま)俊夫さんに当時を語っていただいた。
    「予測通り5万本のイメージハンドルの像はすばらしいものでしたが、生産はなかなか安定しませんでした。一本の合格品を得るのに大量の出来損ないを生み、経済的に大きな負担となっていました。窮余の一策は、その、イメージとして使えない光学繊維を既存の前方視型硬性鏡のレンズの回りに照明用ライトガイド(LG)として組み込み、外部から輝度の高い光を送り込むLG照明方式を推進することでした。ところが単に光を送ればよかろうと考えたLGシステムが予想外の難物でした。お陰で集光、光量、熱、指向性、配光ムラ、開口数など、互いに絡み合う光学繊維まわりのノウハウを、イメージでより一足先に体験することができたのは予期せぬ収穫でした。

(4)千竈俊夫氏

    それまでの前方視鏡では、照明電球が先端の狭いスペースで対物レンズと競合するため、多くは鉛筆の芯ほどに細い豆球しか使えず、視野が暗くてあまり実用的とはいえませんでした。むろん記録撮影はほとんど不可能でした。ところがこの照明方式の改革によって桁違いの明るさを得た前方視型硬性鏡は息を吹き返し、高性能な診断記録用として俄に注目され始めました。
   前方視鏡は一足早くLG照明の恩恵を受けていました。食道ファイバースコープFES-L1号機からLG方式を採用したのも他に選択肢がなかったからです。一方、側視鏡はなかなかそうは行きませんでした。もともと側視鏡は構造的にも電球の特性を上手く生かしていましたし、狭くて遠い管の先端にエネルギーを供給するのに、細い電線1本で事が足りるというのは何より合理的でした。とくに撮影距離がFESの場合よりずっと遠くなる胃鏡でLG照明を取り入れるとなると、何倍もの量のLGを詰め込まねばなりませんし、すでに生検鉗子用の太いチャンネルや鉗子操作ワイヤーなどを余分に抱えているFGS-B型では、そうでなくともアングルやパンニングなど操作の軽快さが失われ勝ちでしたから、LG化は深刻な課題でした。
   一方、LG用光源の状況は、診断・撮影用には、写真用クセノン・フラッシュ放電管に照診用白熱型リフレクターランプを組み合わせて内視鏡グリップに組み込んだハイブリッド型があり、映画用としては、8ミリ映画プロジェクター用白熱電球を内視鏡のグリップに内装し、電気掃除機のホースを接いで冷やしながら使うという強制空冷型がありました。こうしてみると、LG照明先発組の前方視グループとして、光源に関しては決して満足すべき状態になく、明るさも光質も使い勝手もまだ不十分のバラバラ状態でした。とくに観察と撮影における光質の統一は早くから望まれていることでもありました。“ユニバーサル光源”という構想はこのような背景の中から生まれ、観察から映画撮影まで、すべての内視鏡のすべての用途に共通して使えるLG光源をシステムとして開発しようという運びになりました。
   それまでの白熱電球に見切りをつけ、連続点灯の放電ランプを片端から調べた結果、採用したのはクセノン・ショートアークランプの500ワットでした。光量も輝度もスペクトル特性も申し分ないものでしたが、問題はLGの入光面に集まる熱線でした。ランプが点灯した途端、あっという間にLGの端面が黒こげです。もちろん、ランプ側にもLG側にも熱対策は講じてあるのですが、とにかく予想を超える熱量でした。ランプ側の対策を強化すれば折角のスペクトルが犠牲になるというので、かねて経験のあるLG側の耐熱強化策で凌ぐことになり、試行錯誤の末にどうにかLGの入射面は耐えるようになりました。ところが各種データ測定のために規定の長さのLGを接続してみると、驚くほどに大量の熱が先端から出ていることがわかりました。LGにこれほど熱線を伝える能力があるとは思ってもみないことでした。やむを得ず、スペクトルとの兼ね合いをみながら、ランプ側もいくらか調整することになりました。
   ユニバーサル光源第一号RX-500は、当初オゾン臭があったり、焦点調節に多少気むずかしい面が残ったりしましたが、それまでになくすばらしい光源でした。内視鏡を接続して覗いてみると、視野全体が明るく粉を噴いたように白く見え、すべての色が水彩画のように淡く感じられたのが印象的でした。光量の多い光源には必需品のEEも初めて付けられました。これで内視鏡全製品のLG化にやっと見通しが立ちました。」

アングル機構

   アングルとはスコープ先端を上下左右4方向へ曲げる機構で、これがないと屈曲の多い大腸をみるCFは単なる棒にすぎないことになる。
   「アングルの試作で困ったのは、なかなかスコープが素直に曲がってくれないことでした。いくら机の上で真っ直ぐ上がるように調整しておいても、実際の使用状態を想定して挿入部を撓めるとアングルは螺旋を描いて曲がり、視野がよそを向いてしまいます。挿入部全体の撓みによって操作するワイヤーが捻れるのが原因、とまでは解かっていましたが、よい解決法が見付かりませんでした。そのうち、ワイヤーの捻れが原因で視野が外れるのなら、ワイヤーに捻り装置を付ければ能動的に視野を展開できるではないかということになり、パンニング・システムが生まれました。
   パンニングはFGS-C型などではよく利きました。むしろ利きすぎないように調整が必要でした。生検用のFGS-B6では鉗子チャンネルが内装された分だけ捻り抵抗が増え、具合良く作動しました。実際、このあたりがパンニング機構のベストマッチングでした。ところで、後に照明がLG式になると、挿入部の内部を太いLGの束が隙間なく占領して、著しく捻り抵抗が増え、全く利きが悪くなりました。同時に操作ワイヤーの耐久性にも限界が現れ、やがて四方アングルに席を明け渡すことになりました。」

素材探し

   「ファイバースコープ全体としての性能を整えるには、使われる素材に先ず厳しい要求がなされるのですが、内視鏡の特徴からすれば、何よりすべてが細くて長くてしなやかで丈夫でなければなりません。例えば外装の樹脂チューブには、“柔らかくてしっかりしている”、“よく伸びて引張り強度が強い”、“接着性がよくて耐薬品性は高い”など相反する要求事項がたくさんあって、これらの要求は厚み0.5~0.3ミリメートルの薄さで実現しなければなりません。そのうえに温度特性や毒性などの制限があるわけですから、なかなかいいものが見付かりません。どうしても新素材の出現に頼らざるを得ないところが多くあります。幸いなことに当時は高度成長を目前にしていて、金属、光学ガラス、プラスチック、接着剤、潤滑剤など、あらゆる分野に多くの新素材が現れ、活況を呈した時期でもありました。それらの用途拡張を目指した様々な商社が毎週のように売り込みに訪れ、中には“こんなものができたんだけど、何に使えるでしょうかねえ”といってサンプルを置いていったりしました。それらを片端から試験しながら様々な材料にめぐり合うチャンスを多く得て、そのお陰で材料の研究や行程改善などは大助かりでした。零細なベンチャー企業にやさしい時代であったといえます。」

ファイバースコープの本格的開発の機運

   消化器ではないが、気管支ファイバースコープの開発に苦労なさった池田茂人先生のグラスファイバーについての回想を次に掲げて、参考にしたい。
   「当時町田ではグラスファイバーを自社生産しておらず、日本グラスファイバーから購入していた。日本グラスファイバーのファイバーも満足のいけるものではなく、太さ15μであるが、太さにばらつきがあり、町田としては太さの差のないところを探し出し、これをイメージ用にして使用した。ライトガイドファイバーは少し位太さに差があっても問題はない。イメージファイバーは並べて積み重ね、イメージソースを作ったが、太さに僅かでも差があると分解能に影響する。また、壊れ易いという欠点もあった。ファイバーは1μ細くなる毎に数千円高くなるということだが、私は町田社長に自社製のグラスファイバーを造ってもらうことを頼んだ。
   そこで町田社長もグラスファイバーを造る意志を示し、2階建ての新工場を建てた。極めて珍しいことは、この建物を完全冷房にしたことである。今なら当たり前のことであるが、当時では画期的というくらい珍しいことであった。各部屋の温度に差があると均一の製品が作れないためである。    2階の電気炉で屈折率の異なる2種のガラスを別々に溶かし、これを1階のモーターで超スピードで巻き取るわけで、これらの動きにむらがなく、2種のガラスの輪の調和もよく太さもよかった。ガラスが途中で切れるという問題は、アメリカ・オプティカル社のDr.シグモントから新しいガラスが提供され心配はなくなった。これでイメージファイバーハンドルにまとめると、15μと12μの分解能には明らかな差があり、よいイメージを造ることができた。そこでイメージの外側とライトガイドイメージを巻き、外をさらにビニールで包み、これにレンズをつけて製作するわけだが、非常によいものができ上がった。」(池田茂人:私がいたころのがんセンター-フレキシブル気管支ファイバー開発(1)(2)-、国立がんセンターニュース、第168、169号)

   オリンパス光学では芦澤教授にハッパをかけられて、ファイバースコープの開発が始まった。当時の楠山技師によると、「先ず石膏でファイバの巻き取り枠を作った。研究所で教わりながら、真鍮棒の周りに直径約110ミリ、長さ約150ミリの円筒状に石膏を固め、工場の加藤氏に頼んで旋盤で表面を滑らかにして芯を出し、幅、深さ共に7~8ミリの溝を1箇所設けてもらった。この枠を何かの回転装置に掛け、コーティングされてないプラスチック繊維を手送りで溝に重ね巻きした。その後1カ所をシェラックで固め、石膏を壊してバンドルを取り出し、かためた1箇所を切断して端面を磨いた。バンドルの一端を顕微鏡光源で照らして他端が赤くなることを確認したが、全く整列巻きにはなっていなかったので、像の伝達はもちろん不可能だった」
   うまくいかなかったことを伝えるために引用しているのではなく、多大な御苦労の前史を知って欲しいために、あえて引用した。立派なグラスファイバー、ファイバースコープができたことはことさら述べるまでもない。「しばらく目を凝らしていると、暗闇の中心部分がポオッとぼんやり明るくなった。次に蛍光スタンドランプの端の方にファイバーバンドルの先端を直接接触させ、10倍ルーペで覗いて見た。するとランプの表面に印刷された文字が読めるではないか。“おう、見えるみえる”、思わず感嘆の声がひとりでに出た。暗闇の中の微かな光であろうと、とにかくフレキシブルなチューブを通して像を伝達する導光体をわが社がついに作り得た、という感動であった。」

   本稿は「今日流通しているコロノ…」の部分が前号に引き続いていたが、文量が多いので2つに分けた後半に相当する。しかし、読み物として淋しいので、内視鏡医と技術者の関係に関する私見を冒頭に追加した。

文献

1)Hopkins, HH., Kapany, NS.:Nature, 173, 39~41(1954)
2)Hirschowitz, B. I., et aL:Gastroenterology, 35, 50~53(1958)

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