HOME > クリニシアン・消化器関連情報 > 消化管内視鏡を育てた人々 > 第11回 コロノスコープの挿入 (1)

クリニシアン・消化器関連情報

消化管内視鏡を育てた人々

掲載記事は発行時のものをそのままの形で掲載しています。最新の医療における解釈とは異なっている場合がございます。
また、執筆者のご所属・肩書きも掲載時のままとなっています。ご活用にあたりましては、クリニシアン発行年月をご確認ください。

第11回 コロノスコープの挿入 (1)

長廻 紘(群馬県立がんセンター 院長)

   コロノスコープの挿入は、スコープが改良され、各種のビデオ、技術書が利用できる今でも、消化管の内視鏡検査の中では最も難しい、あるいは個人差の大きい検査法である。スコープの柔軟性に乏しく、試行錯誤だった初期には、本当に難しい、また穿孔などの偶発症の危険性の少なくない検査だった。
   スコープ自体の開発と挿入法の工夫は形影相伴う形ですすめられたが、当然、最初はハード(コロノスコープ)が主体でソフト(コロノスコピー)は従であった。臨床使用に耐え、盲腸までの挿入が可能なCFができると、今度はそれをどのように使っていくかが競われるようになった。大腸は解剖学的な特徴(屈曲に富み、送気で伸展する)より、スコープをただ押しつづけるだけでは奥まで入らない(生理的な特徴より大腸内腔は腸内容が多量にあり、絶食すればきれいになる胃と異なり、特別の腸管前処置を必要とした。本項では前処置の問題は省略する)。
   コロノスコピーの歴史は、いかに無理なく、従って速く、回盲部までスコープを到達させる技術を確立するか、の歴史でもあった。本シリーズは器械の開発に主眼を置いたものであるが、大腸に関しては挿入法の確立に努力した人々に触れないわけにはいかない。
   コロノスコピーは、前方視鏡で、管腔をみながら直視下に挿入を行う検査であるが、直腸鏡のようにただスコープを進めるだけでは、腸管の屈曲部へ突きあたり、腸管は長軸方向に伸長されるのみで深部へ入り難い。硬性直腸鏡が下部S状結腸へ届く長さに限定されたのは、そういうわけである。

「逆の字法」

   最難関であるS状結腸が確実性をもって通過できるようになったのは弘前大学内科・田島強(前都立府中病院院長、写真1)による「逆の字法」によってであった。挿入法の確立に至る苦労話などをうかがおうとしていた矢先に、田島先生の突然の計報に接してしまった(1999年9月)。CFの開発者であり、世界の大腸内視鏡界の指導者でありつづけられた先生を、お若くして失ったのはたいへん残念なことである。
   コロノスコピーは田島が理論化し、それに準じて行えば誰でも成功することが判った2人法で行われていた。初期にはスコープの柔軟性やアングル機構に問題があったので、スコープを操縦する人(術者)と、その指示に従ってスコープを進める人(助手)の分業が必要であった。

(1) CF検査中の田島先生(1970.4)

   田島の論文から引用する。「S状結腸を越えて下行結腸に挿入するには、筆者の考案した逆「の」字挿入法を用いる。すなわち、スコープが左側に湾曲していたならば、助手はスコープを湾曲させたままで腹壁から手で介助しながら右側に反時計方向に反転させ、S状結腸を右側に移動させる。S状結腸は前後方向の屈曲も強いので、腸管壁につきあたったならば、スコープを引き戻して腹壁を手で押すように介助しながら管腔を探していくと、逆「の」字を描くようにして下行結腸まで容易に挿入できる。」
   「初期のCFは、アングルの減衰、故障などの耐久性に問題があったが、その後の改良、新しい挿入法の開発と相俟って、非常に容易に挿入、観察ができるようになっており、管腔を見ながら挿入をすすめるという簡単な基本さえ守れば、全く安全な検査法であると断言できる。筆者の1000例を越える検査で、穿孔、出血などの合併症は全く経験していない。その深部挿入率は、最近では回盲部まで約80%にも達しており、大腸の内視鏡としては、ほぼ満足できるものとなっている。」

   田島と苦労を共にした棟方昭博(弘前大学内科)教授にお話をうかがった(2000年1月)。
   ──初めの頃、挿入がうまくいかなくて悩まれたことは、どのようなことだったでしょうか。
   「CFがS-D junctionを越えず、松永先生が命名したcolonofiberscopeが実質sigmoidofiberscopeであり、深部挿入が最大の問題でした。当時scopeは未完のものであり、挿入中にangle wireが切れることが度々あり、その都度、検査予定に合わせるため夜行列車でオリンパスの八王子工場に持参、修理が終わり次第とんぼ返りの夜行列車で検査に間に合わせるというのが小生(棟方)の仕事でした。そのために工場でscopeの内部構造などを実際目に入れることができて、改良のアイデアを出すうえではたいへん役に立ちました。現在のような宅配システムがあれば、そのような機会はなかったことと思います。」

   ──逆の字法を考案された経緯は、いかがでしたか。
   「当時田島先生は法医学の非常勤講師でもあり、ときどき司法解剖もしておりました。解剖中にS状結腸の可動性が腹腔内で良好であることに気づき、さらに注腸X線検査で見られるような「N」字型では、「力の法則(力の三角形?)」から考えても、挿入の“押す力”がscope先端に伝達しないことから逆の字法を考えたと、酒の席で聞いたことを記憶しています。」

   ──回盲弁を最初に観察された日時の記録は残っていますか。
   「昭和44年6月18日で、被検者は43歳のirritable bowel syndromeの男性です。透視時間は17分8秒と記録があります(図2)。」

   (註)よいスコープができれば回盲部へ到達するのは時間の問題であり、誰が最初か、ということはさしたる問題ではない。この日時より先に回盲弁に達したという例があるかもしれない。仮にそんなことがあっても、スコープを開発し挿入法を確実にした田島によるこの日時は貴重なものである。

(2)a 盲腸へ挿入第一例(1969.6.18)

(2)b 記録

   ──その他に印象に残ることはございますか。
   「昭和46年6月第2回国際消化器内視鏡学会(コペンハーゲン)に松永先生が参加した際に田島先生が同行し、現地でCFのライブを数例行っています。帰国一声“ヨーロッパ人の大腸は短くて挿入し易かった”。当時は検査対象となる津軽地区の中高年者のS状結腸は長く、大腸癌は少なくと、被験者側の条件もかなり変わってきたと思います。」

   以下は田島自身の回想録(松永先生との思い出)。
   「昭和45年には、先生にお供しながらローマとコペンハーゲンで開催された第4回世界消化器病学会、第2回世界内視鏡学会に出席させていただきました。その折に、コペンハーゲンのビスペベルグ病院において、当時の世界の消化器病学の大御所である11ヵ国からの18名の教授の前で、3日間に亘って検査のデモンストレーションを行いました。全く勝手の分からない病院の検査室で、それまで大学でも経験したことの無い2時間に5症例の検査というハードなスケジュールを、私が汗たらたらで行っている傍らで、先生は私の汗を拭きながら見守ってくださいました。このデモンストレーションを見てたいへん感激したドイツのハインケル教授に招かれて、学会終了後に予定を変更して、先生と美しいシュツットガルトの街を訪れたのも、つい此の間のことのように思い出されます。大腸内視鏡の現状を見るにつけ、30年前の(松永)先生の先見の明に改めて感銘致します。」

Eisai Group
human health care