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クリニシアン・消化器関連情報

消化管内視鏡を育てた人々

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第12回 コロノスコープの挿入 (2)

長廻 紘(群馬県立がんセンター 院長)

“二人法”から“一人法”ヘ

   スコープの性能が向上すると、スコープ操作と前進させることが、一人でできるようになった。一人法で速く確実に深部大腸へ挿入できることを示したのは新谷弘実教授(Beth Israel Medical Center)(写真1)である。新谷法は簡単にいえば、腸の短縮化を図りながらスコープを進める。すなわち右手でスコープの出し入れ、軸回転を行い、左手でアングル操作を行う方法である。右手と左手の協調作業によりスコープを進める。hooking the fold法、right turn shortening法が基本的なテクニックである。前者は、屈曲部の粘膜ひだをスコープの先端でひっかけるようにして腸管走行の角度を鈍角にして進めていく方法で、一人法の最も重要なテクニックである。後者は、S状結腸・下行結腸移行部を越えるテクニックであり、反時計方向に形成されたスコープのたわみを時計方向にスコープの軸を回転させることによって解消し、スコープが自然に直線化しようとする力を利用して先端を奥に進める方法である。
   アメリカにおられる新谷先生に、コロノスコピーを始められた頃のことについておききした。

(1)新谷先生

   Beth Israel病院へ外科の修練に渡米した新谷は、レジデントを終了した頃、上部消化管検査をみてその内視鏡に対する適性を炯眼にも見抜いたオリンパスの大根田勝美氏に、短いコロノスコープ(CF-SB)を提供された(他の1本はMayo Clinicへ)。
   以下は同氏の談(2000.8.1)。
   「その頃(1967~69)、私は外科部長のWilliam Wolfのぺースメーカー挿入を手伝っていたが、meperidineを前投薬として筋注していた。その影響もあって、上部の内視鏡検査にも最初から同じ前投薬を使用していた。それでも相当な挿入の困難さと患者の拒絶反応、不快感が強かったので、1969年の始め頃には、前投薬としてmeperidineとdiazepamの静注を試みた。この方法は、scopeの挿入を画期的に容易にした。ファイバースコープが広く使用されるようになった1980年前後にconscious sedationとして、世界中に広まっていった。
   私は最初から1人で上部消化管の検査を完了していたので、CF-SB scopeを使用し始めたときも、何の疑問もなく左手に操作部をにぎり、up・down操作を左の親指で、右手でスコープの出し入れと軸回転といった独自の方法で使い始めた。Olympus CF-LB scope(185㎝)を1968年の終わりから1969年の始め頃入手した。そのときにはCF-SB scopeによる臨床経験も300~400例には達していたし、colonoscopeの操作で私が一番強調している、左手と右手の協調作働はすっかり確立されていた。当時操作部は消毒液の中に入れて洗滌消毒することができなかったこともあり、右手の不潔なグローブを操作部にタッチさせなかったのも、このcoordination motionの習得に役立ったと考えられる。CF-LB scopeは上下左右の4方向アングルで180度近く曲げることができた。このscopeによって、ほとんど100%のtotal colonoscopyが可能となった。それと同時にPolyp、Cancer、IBDなどの診断が飛躍的に進み、1970年に入ってから患者数が1日20人以上となった。」
   新谷は海外で活躍(成功)した内視鏡医として特筆すべきである。1970年前半までのアメリカの内視鏡は胃癌が少なかったせいもあると思うが、熱心な人が例外的に行っているにすぎなかったような印象がある。新谷によるコロノスコピーなかんずくポリペクトミーの成功は、アメリカの内視鏡界を変えて行くきっかけになった。今でも忘れ難い印象として残っているのは、1971年の米国内視鏡学会(マイアミ市)で、新谷の大腸ポリペクトミーのビデオが会場の割れるような拍手で賞賛されたことである。邪推であるが、内視鏡が収入とつながることがわかったことが、米国内視鏡学会の飛躍につながった。

    新谷先生の話をつづける。
   「その頃はまだアメリカ中のドクターでコロノスコピーができる人がいなかったので、コロノスコピーを如何に安全かつ迅速に施行するかという要求と圧力が私にのしかかってきていた。また1969年9月のポリペクトミーの成功が、それを急速に倍加していった。コロノスコープを普及したいという願望より、速く普及しなければ忙しくてどうにもならないという時期がきていた。
   1980年に入って、相馬智(故人)、藤田力也教授の要請で、杏林大学・昭和医大でデモンストレーション・セミナーを日本で最初に行った。そのときから日本では、私の方式が“1人法”とか“新谷式”と呼ばれるようになった。アメリカではほとんどの州で講演とデモを行い、ヨーロッパ諸国・オーストラリア・ロシアなども訪問した。
   コロノスコープをマスターするには自転車とか自動車の運転と同様、またゴルフや野球のようなスポーツ、もちろん楽器の習得などと同様に、自分の体で習得する他には上手になる道はないと思う。まず、多くの上手なコロノスコピストの手法を見学すること。2つにコロンモデルを使ってcoordinationをマスターする。そして機会があれば、自分のしているcolonoscopyを上手な先生より訂正してもらうことであろう。(1)目標設定(強い願望をもつ)、(2)勉強・努力する、(3)失敗を恐れない、これが私の哲学である。
   最後に私は、今までコロノスコピー症例のうち1例の穿孔の死亡例などの合併症もありません。」

スライディング・チューブ

   前回述べたように、コロノスコピーは技術的に難しく、機器も未完成というか術者の思うように動いてくれなかった。遠くにポリープがみえて近づけようと努力すると、アングルワイヤーが切れたりなど苦い思い出は数かぎりなくある。田島の抄録(後記シンポジウム)によると、「CFに要する平均検査時間は、最初の100例までは、55分でX線透視時間は20分も必要としたが、最近のNo.151からNo.200までの50例では、39分でX線透視時間はわずか3分であり、X線透視はscopeの位置の確認のみ用いられている。やせた人ではX線透視を行わなくてもscopeの位置の確認はでき、全くX線透視を必要としないこともある。」
   検査が難しい、とくに時間がかかりすぎる。日常的に検査を行うことができる施設では、経験を積み時間を短縮できるが、そうでない所ではコロノスコピーの困難性は深刻な問題であった。努力してもコロノスコープが確実に深部へ到達できたわけではない、というより挿入できないことの方が多いぐらいであった。そのため各種の補助器具が工夫された。その代表がロープウェイ法(腸ひも誘導法)とスライディングチューブ(ST)法である。ロープウェイ法については次回に述べる。
   CFの挿入に際しては、S状結腸にできたループを直線化して深部へ進めていくが、S状結腸は容易に再びループを作り、挿入を試みてもループが拡大するのみのことが多い。S状結腸のループを解消したところで、STを下行結腸中部まで挿入し、スコープが、S状結腸で屈曲・再ループ形成することなく深部へ進める方法をST法といい、牧石英樹(枚方市牧石医院、写真2)・北野厚生(大阪市立住吉病院長)らが開発した1)
   牧石先生にSTを思いついたきっかけなどについてききました。
   「昭和46年2~3月の2ヵ月間、弘前大ヘコロノスコピーの研修に行きました。田島先生が逆の字を解消し、下行結腸へとスコープを挿入する際、S字状結腸において再びループを形成し、スコープを挿入しても、力が先端に伝わらず前に進まない例がよくあり、その際助手が腹壁の上から手でスコープの弯曲伸展を抑えて再ループ化をふせぎ、挿入し易くしていました。そのとき私は、むしろ腹壁の上から抑えるのではなく、腸管の中にチューブを入れてその中をスコープを通し、その伸展をふせいだらどうかというアイディアに思い至った。

(2)牧石先生

    4月に大阪市大病院へ帰院後、さっそく医療器具メーカーの足立四郎商店の大阪市大担当であった隅山国夫氏に事情を説明し、その内側ヘスコープを通せて適度な弾力性のあるチューブをさがしてくれるように依頼した。そのとき隅山氏がもってきてくれたのが水道のゴムホースであった。これが非常に工合がよく、さっそくこのチューブを使ってCFの挿入を行ったところ、S字状結腸の進展もなく、患者の苦痛なしできわめて短時間で盲腸まで挿入できた。バウヒン弁がみえたそのときの感激は今でも忘れません。このときの検査の助手が北野先生で、このチューブをsliding tubeと名付けてはどうかといってくれたのも彼であった。
   その後足立四郎商店が商品化しようと努力されたがうまくいかず、足立がオリンパスヘ依頼し、オリンパスがこれを商品として開発し製品として売りだされた次第です。」(写真3)

(3)STを使って挿入されたCFのX線像(今となっては懐しいもの)

   北野先生の思い出としては、「通常の水道ホースでは軟らかく、再ループ形成を抑制することはできなかった。さすれば硬い水道ホースではどうか、と大阪市内の金物屋を探し、和泉市の金物屋で金網入りの水道ホースを入手した。約40cmに切断し、はみ出た金網はヤスリでとぎ、両切断部をなめらかにして使用した。まさしくsliding tubeの第一試作品である。この水道ホースの適切な硬さにより再ループ形成が抑えられ、学会、論文として報告した。命名はチューブの中をスコープを送りこむとしてslide(送り込む(自))を採用しsliding tubeとした。その後私は鉗子孔より硬さを三段階に変更するガイドワイヤー(leading cord)法を開発し、S字結腸過長症、横行結腸下垂症、あるいは婦人科手術症例に対する挿入を容易とした。ちなみに、最近市販されたオリンパス社製のスコープの硬度変更可能な器種は、このleading cordを内蔵したものである。その後S字結腸から下行結腸までの挿入をより容易にするためにleading tube法も開発した。」
   中江遵義(東京女子医大、現和歌山・中江病院院長)は、盲腸まで届くlong STを開発した。「肝彎曲までスコープを進めて一旦横行結腸を直線化しても、上行結腸ヘスコープをすすめると、横行結腸が再び大きいV字型やループを作り、上行結腸さらに盲腸への挿入が困難になることが少なくなかった。直線化された横行結腸内を肝彎曲までSTを入れることができるなら種々の応用ができると考えた。初期には全長100㎝の1本のSTを試作したが、STに覆われないスコープ部分が短くなり、挿入時にやや不便さを感じたため52㎝と51㎝の2本のSTを用いて、挿入途中で2本を結合する方法を考えた。これを用いることによって上行結腸までのスコープおよびSTの挿入を容易にした。これにより多発性ポリープの完全回収、小腸鏡や拡大内視鏡との入れ替えを容易にした。」
   これらの他にも色々な試みがあった。多く試みられたのが自走式CFである。成功例はきいていないが、今でも秘かにあるいは公然と開発し、ロボット工学会などで発表されている。CF自体が改良を重ねられ、今日のように基本的なトレーニングを受ければ誰でも回盲部まで挿入できるようになり、これらの補助具はお役御免となった。今では忘れ去られてしまった業績を紹介するのは、いかに初期にはコロノスコピーが難しい技術であり、多くの人がその克服に努めたかを記して後世に伝えたいからである。筆者は、これらの逆、すなわちコロノスコピーを補助具を用いない内視鏡本来の姿に近づけるよう(無透視挿入法2))、また回盲部への挿入・観察3)に努めた。
   “自分が苦労して開発したスコープでもないのに、いかに上手に速くスコープを操れるかを得々として述べる人が無くもない”と、故小黒八七郎先生がいっておられた。日本人とくにインテリはあまり人前で手前味噌をやらないが、コロノスコピストには居る、という意味だろうが、自分の技術に自信があって、挿入が上手なら、黙っていろという方が無理。当時はそういう状況でした。
   CFがある程度普及し、検査症例も増えた所で、第12回日本内視鏡学会総会(1970、昭和45年、大阪)のシンポジウムで大腸内視鏡検査(司会:山形敞一・内海胖)がとりあげられた。演者は発表順に丹羽寛文(東京大学内科)、内海胖(関東逓信病院内科)、酒井義浩(東京医科大学内科)、村島義男(札幌厚生病院消化器科)、平塚秀雄(平塚胃腸病院)、長廻紘(東京女子医科大学消化器病センター)、小峯征彦(日本医科大学内科)、湯川永洋(湯川胃腸病院)、奈良坂俊樹(東北大学内科)、田島強(弘前大学内科)。

文献

1)牧石英樹ら:スライディングチューブを用いた新しい大腸ファイバースコープ挿入法の考案、Gastroent. Endosc., 14, 96~101(1972)
2)Nagasako, K., et al.:Fibercolonoscopy without help of fluoroscopy. Endoscopy, 4, 208(1972)
3)Nagasako, K., et al.:Endoscopy of the ileocecal area. Gastroenterology, 65, 403~411(1973)

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