クリニシアン・消化器関連情報

消化管内視鏡を育てた人々

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第13回 小腸鏡

長廻 紘(群馬県立がんセンター 院長)

   小腸は内視鏡にとって特殊な管腔臓器である。特殊な、という意味は、(1)非常に長いうえに、腸間膜を有し可動性に富む(挿入・検査がきわめて難しい)、(2)腫瘍とくに悪性腫瘍が少ない(検査の必要性・必然性が乏しい)ことである。他に検査法がなければ別だが、そうではなくてX線検査が行われて十分な診断能を誇っている。内視鏡は、小腸に関しては全体をみる、スクリーニング検査を行うといったことに向いていない。
   しかし、ファイバースコープができて、十二指腸や大腸の内視鏡検査ができるようになると、そのもっと奥も、というのは人情である。臨床的意義よりも、誰が最初に全小腸を観察するかに関心が集まっていた。極地あるいはエベレストの頂上、そこに石油も金もないことは判りきっていたが、誰が最初に究めるか。

(i)ロープウェイ法

   どんな方法で試みるのか、あるいはスコープの長さはどれくらいがよいのか、とか種々の解決すべき問題があったが、そんなことを嘲笑うかのように、平塚秀雄(平塚胃腸病院院長、写真1)が大腸を片付けた勢いでロープウェイ法で小腸もあっさり解決してしまった。まさにアレキサンダー大王によるcut the Gordian knotであった。時の勢いというか、人の勢いというか、そういったことを感じさせる出来事であった。常岡教授がいつも「平塚君は強運だ」といっておられたが、本当だ。小腸がアコーディオンのように短くなって勝手にあるいは小腸の方が呼び込むような形で小腸鏡の通過を許してしまった。今思うと当たり前の現象だが、強運の人以外には起こり得ぬことであった。

(1)小腸鏡の成功を喜ぶ平塚胃腸病院のスタッフ(中央が平塚秀雄先生)

    平塚の考案したロープウェイ法とは、口(鼻)からのませ、肛門外に排出された腸ひもをCFの生検鉗子管(腸ひも誘導管兼用)に通しておき(モノレール法のように吊り上げるのではなく)、腸ひもを肛門側へたぐりながら同時にスコープを挿入する方法である。腸ひもは腸管をアコーディオン様に短縮する。ロープウェイ法はファイバースコープによって腸管壁の最大円周半径方向に加わる力学的抵抗力をできるだけ取り除き、あらかじめ挿入された腸ひもそのものを軸としてスコープを進めていく方式である。この方法は大腸鏡の挿入自体をきわめて容易かつ短時間で可能にした。しかし生検孔を腸ひもで塞ぐし、ひもが観察の妨げになり、コロノスコープの性能向上とともに、次第に用いられなくなった。むしろ小腸鏡において、今に至るまできわめて有力な手段としてあり続けている。
   平塚先生にロープウェイ法の苦労をおききした。(99年12月、池袋メトロポリタンホテル)

   「“腸ひも”を使ったら深部まで内視鏡挿入が可能かも知れないと口をすべらせたため、昭和45年の第12回日本内視鏡学会総会(大阪、会長湯川永洋)のとき、シンポジウム『大腸内視鏡検査』(司会:山形敞一・内海胖)に竹本先生から出すように薦められ、演題提出の羽目になった。このときの演者は今、その顔触れをみると錚々たる人物であった(前回参照)。当時私どもの病院では大腸内視鏡検査をはじめたばかりであり、何ら新しい知見をもち合わせていなかったためにたいへん困ったのであります。しかし立派な研究をなしとげなければと考えに考えぬいて生まれたのがこのロープウェイ法であります。親鸞上人の「懸崖に手をさっし、絶後によみがえる」の言葉のような心境から生まれた研究で、人間は困ったときでも、やる気になればできるものだと人生への自信にもつながりました。」「日本医科大学外科斎藤教授が“イレウス管として斎藤式腸ヒモ”を開発し、イレウスの診断・治療に自由自在に応用していたことを知っていました。また、弘前の松永教授はやはり腸ひもを用いたモノレイル法(1963)を開発していたが、この方法では挿入不可能(ひもの種類も違うし、飲ませて肛門から出た腸ひもをスコープ先端に結びつけた方法)で、斎藤式腸ひもが大腸ファイバースコープの鉗子孔にピッタリだったのも幸運だった。こんな経緯で鉗子管を用いての腸ひも誘導法で第1例目からコロノスコープの回盲部挿入に成功した。これに気をよくして、口から小腸ファイバースコープ、肛門から大腸ファイバースコープ挿入法を試みた。両ファイバースコープのドッキングに成功したのは1971年3月29日のことでした。ロープウェイ法で最も気を使ったことは、2日前よりひもを飲ませるという煩わしさ、偶発症(幸に少なかったが0ではなかった)を如何に起こさないようにするかでした。また、患者への検査前の説明(今いうインフォームドコンセント)に配慮した。」

   ──口肛両側からのスコープによるドッキングについてきかせてください。
   「まず私が、ロープウェイ法でCFを肛門より挿入し、同時に大井至先生が小腸ファイバースコープを経口的に同じ腸ひもを利用しながら挿入しました。当初はドッキングまでは考えていなかったが、両者のスコープ先端は写真2のように腸管内でドッキングし、お互いにスコープ先端の撮影に成功したのであります。ときは1971年3月29日のことで、竹本先生にこの旨報告する電話の声も心なしかふるえ、なんともいえぬ異様な興奮を覚えたものです。また落ちついて坐っていることもできず、夜半逗子の近藤先生宅を訪れ、この模様をご報告したところ、“ついにやったか”とやはりうわずった興奮のお言葉で激賞された感激はいまだに脳裏から去りません。

(2)ドッキングに成功したときのX線写真

太いのが大腸鏡、細いのが口から挿入した小腸鏡(71.3.29)

(3)大井実先生

本誌124号より(1965年)

   これを、1971年9月盛岡で開かれた第9回日本内視鏡学会秋季大会で、「Ropeway法による小腸ファイバースコープ(経口的)と大腸ファイバースコープ(経肛門的)の同時挿入の試みについて」を報告したとき、大井実先生(慈恵医大名誉教授、写真3)より次のような意味の追加発言をいただいた。“1970年7月、あるパーティの席上で、Dragstedt教授が月征服の話をしたあと、両手の人さし指を上下に向かい合わせながら、いまに日本人の手によって内視鏡的に口と肛門からつなぎ合わせることができるであろうと日本の内視鏡学の功績をたたえてくれたが、今日の講演で、平塚博士の手によって世界ではじめて、この口からと肛門からの内視鏡のドッキングが発表され、Dragstedt教授の予言が日本人の手によってなされたことは喜びに堪えない”という意味の内容だったと記憶しております。」

   ──それから1本のFSで全消化管を貫通されたわけですね。
   「2本のスコープがドッキングしても、スコープの長さに余裕があったので、1本で全消化管の観察を試みました。これは予想どおり簡単でした。このことを中心に、恩師である常岡健二教授が会長の第14回日本内視鏡学会総会にて、直接ご指導を賜った竹本忠良教授ご司会の「小腸内視鏡検査」のシンポジウムで発表しました。このとき座長の総括で“平塚のロープウェイ法の成績は1本のファイバースコープで大腸から小腸までを観察し、生検する現在唯一の方法としてひときわ光彩を放った”と述べられた。」

   ──小腸は病変が少ないこともあって、絨毛の拡大観察・消化吸収の面に努力されましたね。
   「消化吸収の内視鏡的研究を行うためには、どうしても絨毛単位での内視鏡的観察が必要となってまいります。従来、絨毛の形態学的観察は生検材料の実体顕微鏡による低倍率観察法が不動の地位を占めておりましたが、この実体顕微鏡下の観察法を拡大内視鏡検査法に導入することによって、生検材料とほぼ同様の観察効果が生体で得られる小腸粘膜の内視鏡観察法に成功しました。すなわち絨毛単位で観察でき、しかも絨毛が生き生きと観察でき、個々の絨毛の形状と大きさ、密度、また絨毛の運動などを16㎜映画にとらえることができました。そしてわが国では無といわれているスプルー(原発性吸収不良症候群)の患者をこの小腸拡大内視鏡法で発見、診断し得ました1)。」

(ii)ゾンデ法

   コロノスコピーをやっていたもの誰しもが、一時的であっても小腸もと思うが、筆者は冒頭に述べたような小腸の特殊性とロープウェイ法出現により、小腸は終わりと早々と見切りをつけた。
   ロープウェイ法とは別に、小腸鏡の可能性に挑戦しつづけたのが多田正大(京都府立医大増田内科・現多田消化器クリニック)である。持ち前の馬力と情熱で小腸に取組んで、とうとうゾンデ法を臨床的に使い得る小腸鏡として完成させた。ゾンデ法とは、経鼻的に挿入した細くて柔らかいスコープが、消化管運動にのって、小腸深くへ入っていくのを利用した小腸鏡のことである。
   多田先生にゾンデ法の開発についてききました(2000.3.15 早胃研の会開始前に)。

   ──多田先生はゾンデ式小腸鏡を開発し、改良を重ねられました。小腸の何があれほど多田先生の情熱をかきたてたのですか。開発当初のことをおきかせください。
   「小腸鏡の開発が本格的に始まったのは、胃や十二指腸、大腸ファイバースコープの開発が一段落した1970年頃ですが、丁度、私が第三内科に入局して川井啓市先生が主宰する内視鏡室に配属されたときでした。胃や大腸内視鏡、ERCPなどの分野は、先輩が精力的に研究しており、とうてい新参者にはチャンスがなかったので、誰も踏み込んでいない小腸内視鏡をやろうと考えた訳です。この分野であれば世界的にも通用できると闘志を燃やしました。丁度、増田正典教授(故人、写真4)が内科学会の宿題講演で「小腸」を担当されたので、親分のために新しい内視鏡の分野でお役に立ちたいと、赤坂裕三先生と共に情熱を燃やしました。

   ゾンデ式のアイデアは川井教授が考え出されたもので、イレウスの診断のための腸紐検査、消化管出血診断のためのintestinal string testにヒントがありました。スコープが満足に深部挿入できない時代に、生検アングルなどの機構を犠牲にしてでも、とにかく内視鏡観察を優先させようという意図で開発したものです。」

(4)増田正典先生

本誌199号より(1971年)

   ──ゾンデ式スコープを実用化するまでに、最も苦労されたのは何だったのですか。
   「ゾンデ式挿入法は被検者の苦痛が少ないことが特徴ですが、それでも長時間にわたって挿入していると、咽頭部に不快感が出現します。そこで経鼻的に挿入しようというアイデアを出し、実用化することに苦労しました。経鼻式挿入によって24時間以上の検査にも耐えられるようになり、全小腸がカバーできるようになり、小腸クローン病患者の経過観察もできるようになりましたが、臨床医のアイデアを実用化する苦労はたいへんなもので、オリンパス光学の開発者とともに汗を流しました2)。」

   ──ゾンデ法の現状ならびに小腸鏡の将来性についてご意見をおきかせください。
   「現在の内視鏡開発技術の下では、ゾンデ式小腸鏡は数年前から完成の域に達しています。機械的には改良の余地はないほど優れたものであると思います。製品化してもおかしくないと考えていますが、なにしろ数多く売れるスコープではありませんから、メーカーも発売に踏み切ることができないのでしょう。
   ゾンデ式に限らず、小腸鏡はそれなりに有効な診断法ですが、現在の機構にこだわる限り限界があります。ファイバースコープにせよ電子内視鏡にせよ、ケーブルを用いて検査を行うという発想の転換をしない限り、今後の進歩はあり得ないと思います。将来、時間がかかる今のやり方の小腸内視鏡検査はなくなって、もっと簡単な検査法が開発されるべきです。私もカプセル内視鏡のようなアイデアと夢はもっているのですが、科学が追い付かない(カプセルを動かせるバッテリーが見あたらない)ので実現しそうにもありません。その意味で、最も夢のあるのが小腸内視鏡の分野ではないでしょうか?」(現役のバリバリだから自身の写真は勘弁してください)

(iii)通常法(プッシュ法)

   上部消化管検査あるいはコロノスコープの延長として、空腸あるいは回腸を観察するのは早くから行われていた。空腸上部や回腸下部は、小腸としては悪性腫瘍の多い部分であり、臨床的にも有用性がある。上部(空腸)はトライツ部から50㎝、下部(回腸)も回盲弁から50㎝ぐらいがこの方法による挿入限界で、必要に応じて検査が行われている。
   空腸鏡を精力的にこなしておられた土岐先生に初期のご苦労についておききした。

 「小腸鏡に携わるようになったのは、私が大井至先生についてERCPを始めたころでした。竹本教授より“口からスコープを一番深く挿入しているのはERCPだから、おまえがやれ”との単純な理由で仰せつかりました。
   町田製作所で開発の会議がしばしば行われ、私も出席させていただきました。当時は町田グループの日本医大常岡内科(小林正文・太田安英)、オリンパスグループの東京医大芦澤内科(川上當邦)とお互いに成績を競いあった時代でした3)
   町田製作所の努力はたいへんなもので、とくに技術の千竈さんが数々のアイデアを出してくれました。たとえば、(1)小腸鏡ではアングルの作動性と耐久性に大きな問題があった。アングルが確実に作動するよう、また耐久性の向上を考え、アングルを4方向それぞれ別個に独立させる方式を考案した、(2)スコープが柔らかすぎるので、鉗子チャンネルの中に硬い金属の棒(スタイレット)を挿入することによりスコープの軸が硬くなるような方法を取り入れた。このスタイレットは硬いので直線的に使用する必要があり、そのために接眼部を十手状に横に取り付ける構造でスコープを設計した、などです。
   開発の当初は、スコープが出来上がってきても1例に使用すると、簡単にしかも検査中によく故障してしまい、なかなか思うように進みませんでした。
   Push式での挿入では、トライツの通過が最大の関門でした。よく医局のコンパなどで、ギターをもって騒ぐことがあったのですが、あるコンパの帰りに、竹本教授より、“おまえはトライツを越えるまでは、ギターを封印しろ”と、おしかりというか、叱咤激励していただいたのを憶えております。
   先端ではトライツ近くまで達してはいますが、さらにスコープを進めようとしても、胃内でスコープが大彎を進展させ、最終的にループを形成してしまい、患者に強い苦痛を与え、挿入の続行が困難となることが少なくありませんでした。そのために、外管(現在のスライディングチューブ)を開発して食道から十二指腸下行部までの直線化を試みました。途中で先端が球部から胃内に落ち込んでしまい、効果が十分に得られるとは限りませんでした。
   スコープとしては先端部は柔らかく、シャフトは途中から少しずつ硬くなるのが理想と考えられましたが、理想とするスコープは完成するまでには至りませんでした。
   トライツを越えるという感覚、感触は、ERCPで苦労して目的部位へ挿管できた快感とは異なります。迷い道からやっと脱出できたというような感じでした。スコープが小腸内を進むときは常に管腔をとらえているのではなく、視野内をケルクリングが流れていくという表現が適切と思います。
   空腸の平滑筋腫を観察できたときには興奮しました。腸管外にも腫瘤を形成(術中に確認できたのですが)しており、それが並走する肛門側の空腸を圧排して、いかにも病変が二箇所あるように見えたのでしたが、術中内視鏡で見つからないので青くなりました。
   スコープの問題としては、空腸内では生検鉗子が先端より出ないこと、アングルが作動しないなど、いろいろありましたが、最終的にはトライツを越えて空腸への挿入率は80%位には到達できました。到達範囲はトライツから60~80㎝位が限界でした。電子小腸内視鏡を使っている現在、解像度は格段によくなりましたが、挿入は、基本はあまり変わっていません。」

文献

1)平塚秀雄:消化管内視鏡の思い出、「秀和」20年の歩み(平塚胃腸病院20周年誌)、1978年
2)多田正大ら:sonde式小腸fiberscope(SSIF)による小腸内視鏡検査法、Gastroent. Endosc., 21, 836(1979)
3)土岐文武:ファイバー小腸鏡FISの開発とその臨床的応用に関する研究、Gastroent. Endosc., 18, 383(1976)

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