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クリニシアン・消化器関連情報

消化管内視鏡を育てた人々

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第17回 EUS(超音波内視鏡)(2)

長廻 紘(群馬県立がんセンター 院長)

   前回に触れたように、超音波内視鏡については、国際的に大きな競争があった。20世紀末の師走の寒い日に2度に亘って行った長時間インタビューの中で、川井はそのことにも触れて、行き違いがあって残念だった、という印象をのべている注1)。また馬場も、その件に関して、思い出を語ってくれた注2)

   さて今回は、ラジアル式の開発が行われているのと並行した形で、全く別個に開発されたリニア走査方式によるEUSについて触れる。

電子リニア式EUS

   このEUSは1980年米国SRIのGreen らによって開発され、DiMagno らが使用経験を述べたのが最初とされる。日本では東芝メディカルと町田(1981年)、およびフジノン(1983年)によって開発された。

   リニア式の開発に自治医大消化器内科で若き日の情熱を傾けられた山中桓夫(現同大大宮医療センター、写真(1))先生におききした。

   「超音波に興味はもっていたのであるが、この分野にのめり込むきっかけは1975年のHolm らの超音波映像下経皮的膵生検の論文であった。日頃より、内科的に安全確実に施行できる膵生検を模索していたので、すぐにこの方法の将来性に気付き、その導入に意欲的に取り組んだ。必ずしも、周囲の賛同は得られなかったが、約1年をかけた基礎実験を経て、本邦ではじめての臨床応用にこぎ付けた(1977年)。その後、超音波映像下生検は電子走査型の専用探触子の開発と相侯って種々の分野で広く応用されるに至った。このようなことから、超音波で膵を明瞭に描写するのにいつも苦労していたわけである。その主な原因は、消化管、とくに胃内のガスによる超音波伝播妨害による膵描写能の劣化であった。このころ体腔内走査法の存在を知り、各方面へ現在の超音波内視鏡の開発を働きかけていた。

(1) 山中桓夫 先生

   ある事情から超音波内視鏡の開発依頼の直談判のため、当時超音波診断装置の改良などで熱く、ときに痛飲しながら頻繁にディスカッションしていた宇都宮の東芝メディカル(株)の伊藤久嗣氏(現 同社経営戦略本部長)と共に川崎の東芝研究所に乗り込んだのは、残暑もいまだ厳しい1980年9月4日のことであった。

   当時の研究所長は、後に超音波医学会会長(理事長)を務めることになる飯沼一浩氏であった。超音波内視鏡の臨床的意義など詳細に説明、なんとか開発の約束を取り付けることができた。超音波部門は東芝メディカルの櫛谷征昭氏、内視鏡部門は町田製作所の宮城邦彦氏が中心となり、開発が進められることになった。

   試作1号機が自治医大に持ち込まれたのは翌1981年3月23日の夕刻であった。
   先端径13mmでまずまずであったが、先端の超音波深触子部5cmとその手前にある側視の内視鏡視野部を含めると、先端硬性部は実に7cmを越えるものであった。日頃より上品な(径10mm前後で、しかも先端硬性部も短い)内視鏡を使っていたので、スムーズに患者さんに挿入できるかどうかが頭に浮かび、一瞬息を飲んだ。最初の症例は膵石例であったと記憶している。長年外来で診察していた患者さんで、機械の説明、検査の意義などについて説明し、了承を得て、翌日には検査を施行した。意外にも比較的スムーズに挿入でき、十二指腸球部まで進めることができた。胃壁を介して膵管内の結石が明瞭に描写できたときの感激は未だに忘れられない。

   その後バルーンの開発、内視鏡視野の先端前方視への変更、先端硬性部の短縮など種々の改良が加えられ現在に至っている。いずれにせよ、この間における東芝メディカル、町田製作所の技術者諸氏の本機器開発への情熱なくしては、現在の姿はとうてい得られなかったはずである。電子走査型超音波内視鏡は、今後超音波内視鏡の主流となる超音波内視鏡下穿刺法に適した機種であり、またドプラ法も可能なことから、最近本邦において臨床応用された超音波造影剤の応用にも期待され、益々その重要性を増すものと思われる。」

消化管壁の層構造

   超音波内視鏡は、体表走査で不十分な超音波診断情報を補う目的で開発された診療機器である。具体的には、超音波体表走査でしばしば描出に難渋した膵臓の描写を主たる目的に開発された。したがって、当初超音波内視鏡の対象症例は、1980年から1982年までは消化管に比べ胆・膵が多かった。しかし、膵描写の写真をみると、膵と同時に消化管が明瞭な層構造で描写されている。このことから、超音波内視鏡の消化管疾患診断への評価に目が向けられ、1983年から消化管を対象にした検査が一気に増加した。一方、胆膵系では当初より膵疾患症例が圧倒的に多かったが、機器の進歩に相侯って1984年頃より胆膵ほぽ相半ばする状態になっている。

(2) 相部 剛 先生

   消化管の超音波内視鏡診断の歴史は、EUSで描出される消化管壁の層構造、とくに胃壁の層構造の組織学的解明に始まる。EUSによる胃壁層構造の萌芽的研究は、1980年に始まった。1982年5月に山口大医学部内科の相部 剛(現 山口労災病院、写真(2))らは、ラジアル走査式EUS(周波数7.5MHz)を用いて、胃壁は5層構造として描出されることを本邦で初めて報告した。なお、胃壁5層構造の組織学的解明としては、1983年5月に山中が、電子リニア走査式EUS(周波数5MHz)を用いて論文を報告し、第3層が粘膜下層であることを指摘した1)2)

   相部先生に当時の思い出についておききした。
   ──EUSを始められたきっかけはどのようなものだったでしょうか。
   「1980年5月のある日のこと、第4回欧州消化器内視鏡学会から帰国されたばかりの竹本忠良教授に、折り好く(?)内視鏡室で出会いました。その当時、私はERCPによる膵実質造影法に取り組んでおり、その研究について竹本教授にぜひとも相談しなければならないことがあったのです。私は“相談したいことがあるのですが…”と切り出しましたところ、“そうだろう、超音波内視鏡のことだろう!”と、意を得たかのように申されました。リニア走査式超音波内視鏡作製の可能性については検討していたものの、オリンパス光学の機器の存在について知らなかった私は、“東芝の関係者と検討しましたが、現状では試作不能です”と答えましたところ、教授はみるみるうちに不機嫌になられ、“だから、国際学会に行かない者は駄目なんだ!”と一喝されました。そして、ご自分が超音波内視鏡を取り寄せるので、その研究をするようにとの指示がその場で下されたのでした。

   1980年の12月に、機器の設計者であるオリンパス光学の馬場和雄氏(現・馬場医科光学研究所)ならびに同社の他の2名の方々とともに、回転ミラー反射走査式の超音波内視鏡試作1号機が届けられました。私は直ちに研究に着手し、1981年の5月には、超音波内視鏡の検討(第1報)と題して論文報告しました。対象症例は膵胆道疾患10例で、うち1例は十二指腸下行脚に超音波内視鏡を挿入して膵頭部を描出したもので、本邦初の報告例でした。馬場氏と各施設の研究者との間での幾多のディスカッションを経て、機器は速やかに試作2、3号機(ラジアル走査式)へと改良されてゆきました。」

   ──消化管壁の層構造の解明といえば相部先生ですが、最初はどんな具合でしたか。
   「1981年後半のある日のこと、早期胃癌IIc(m癌)と診断された症例に対して、深い目的はありませんでしたが、超音波内視鏡検査を試みたのでした。すると、胃壁が5層構造として描出されるとともに、病変(癌)はその第4層部分にまで変化が及んでいました。そこで私は、岡崎幸紀助教授(現・厚生連周東総合病院院長)に、胃壁の第4層部分にまで変化が及んでいるこの症例がm癌とは考えられませんと申し上げましたが、信用していただけませんでした。さらに、手術で摘出された生標本をみられた岡崎先生は、5mm程度であった病変を見つめられながら、m癌であると断言されるとともに、私に賭けるかといわれました。私は、賭けをするほどの自信はありませんと答えました。ところが、病理組織学的にはmp癌でした。この症例は第24回日本消化器内視鏡学会総会で発表するとともに論文報告しました3)が、これが後になって相部の5層構造と呼ばれるようになった端緒でした。その当時、教室ではレーザー内視鏡の研究が活発に行われていましたが、超音波内視鏡で胃壁が5層として描出されるのであれば、早期胃癌へのレーザー治療の効果判定ができるのではないか、そのためにも5層構造の組織構築を早急に解明すべしという指示が、竹本教授より下されました。

   組織構築の解明という難題を前にして、どうしたらよいものかと思案した結果、胃の切除標本を水槽内に沈めて超音波内視鏡で描出した画像とその組織像とを比較検討する方法に着手しました。また、イヌで基礎研究を行っていた同僚からイヌの胃では粘膜筋板がヒトよりも厚いという話にヒントを得て、その同僚からイヌの胃を一部いただいてヒトの胃と比較検討するとともに、後に境界エコーと命名した概念を加えて5層構造の組織構築の解明を行い、学会ならびに論文報告しました4)。これが層構造に関して現在も引用されるバイブル的な論文になっています。」

EUS下穿刺生検法

   EUSが開発され臨床応用が進むにつれて、この生検法の有用性と同時に、その限界も明らかになってきた。EUSは、消化管・胆管・膵管およびその周辺臓器における病変の詳細な評価を行い、より的確な診療を行うことを目的とするが、この目的は概ね達成されている。しかし、一部病変の質的診断については限界がある。例えば、腫大したリンパ節が描写されても、それが炎症によるものか悪性腫瘍の転移によるものかの判別、粘膜下腫瘍、とくに筋原性腫瘍(平滑筋腫か平滑筋肉腫か)の質的診断などである。これらの問題を解決する方法の一つに、当該病変から組織を採取し病理学的判定に委ねる方法がある。超音波内視鏡で評価の対象となる変化は比較的小さなものが多いため、的確な組織採取には、やはり超音波内視鏡映像下にアプローチするしかない。このような観点から超音波内視鏡下穿刺法が開発された。

   穿刺法の先駆者である山中先生におききした。
   「EUS下穿刺法は、内視鏡軸に沿った超音波画像が得られるリニア型あるいはコンベックス型の走査方式をもつ機種が適しており、当初よりリニア型を用いていたわれわれは、すでに1985年に、映像下ではないが穿刺もできるEUSを試作し臨床応用を始めた。臨床応用してすぐに、この機器が診断のみならず局所に、的確に薬剤を投与できる能力にも着目し、1991年には日立・ペンタックス社によりはじめて開発された穿刺用超音波内視鏡を用いて、進行胃癌に対し直接抗癌剤注入する治療も行った。その後、機器の改良に伴い、リンパ節、縦隔腫瘍、粘膜下腫瘍などの生検、静脈瘤硬化療法への応用、膵のう胞の消化管へのドレナージ、食道アカラジアに対するボツリヌス毒素注入、さらには進行膵癌に対するcytoimplant の注入、腹腔神経ブロックなど、治療への応用も盛んに行われるようになってきている。ところで、このような手技は現在欧米において積極的に行われ、本邦では一部の施設を除くと未だ普及していない。

   1997年Harvard 大学に超音波内視鏡についての講義を依頼され渡米した折、Brighamn and Women's Hospital で超音波内視鏡下穿刺を見学する機会を得、非常に驚いた。超音波内視鏡検査専属のナースと病理スタッフが常駐しており、穿刺検体はその場で評価され、内視鏡医は内視鏡を挿入したまま病理の結果を聞き、検体が不十分と判定されると何回でも穿刺を繰り返していた。このような状況は、1つには彼我の医療体制、とくに医療訴訟の問題の違いなども絡んでいると聞く。いずれにせよ、超音波内視鏡の特徴を生かした穿刺法は、とくに治療面で今後重要な役割を果たすものと考えられる。」

注1)

   「オリンパスが初めて試作品を作って、私のところに相談がありました。相談を受けて、それを国際的に広げて会議をやりたいというのですが、ディストリビューションもしなければいけないし、何かよい方法はないだろうかといわれたときに、私のところでもそれをやっている者がいましたので、私のところと中澤三郎先生、そして超音波法の一番の権威である福田先生、日本ではその3人に決めて、それにClassen(ドイツ)、Sivak(米国)、Tytgatt(オランダ)など全体で10人ぐらいのメンバーで始めたのです。
   そのときに、新しい機械の開発に関係する人が、10人なら10人が関係すると、1人の名前でトップに出てしまうとこれからの国際交流の上ではよくないので、その発表はお互いに良識を持ってやりましょうという話をしていました。そういう意味でかなりいい易かったです。しかし残念なことに、1980年というのはハンブルグでヨーロッパの消化器内視鏡学会があって、Classen が会長だったのです。そうすると、彼が会長講演の中でどうしても話したくて入れてしまったのです。後で彼に"こんなことをしていたら、せっかく国際交流で一生懸命やろうとしているのに…"と苦言を呈したのですが…。」(川井 啓市)

注2) Classen先生の件

   「試作1号機完成後、国内での臨床検討に並行して、独国Classen へ一式発送しました。臨床開始が3月からのため、国内での学会発表は同年秋からということになりましたが、その前にClassen が欧州で発表してしまわれました。"日本が開発した装置を外国施設に最初に発表させるとは何事か"と、竹本教授のお叱りをいただきました。
   超音波出身の私は当時、Classen の名前を全く存じ上げませんでした。"試作1号機が完成したらClassen 先生に届けるべく、欧州出張所へ一式送るように"という当時の内視鏡事業部トップからの指示を受けたとき、これから始める国内での臨床検討のことで頭が一杯の私は、なにも考えずに指示通りに発送しました。トップから"竹本教授のところに持っていくので一式大至急用意せよ"との指示がきて、トップと上司の3人で山口大学に向かいました。その途中、竹本教授にお届けする理由を聞かされ、"なるほど、もっとものお叱り"と、やっと事態を理解した次第でした。」(馬場 和雄)

文献

1)山中桓夫ら:電子リニア走査型超音波内視鏡の使用経験(超音波胃内視鏡及び腹腔鏡下超音波診断装置)、日超医講演論文集、38、409(1981)
2)山中桓夫ら:超音波内視鏡による早期胃癌深達度診断、日消会誌、80、1222(1983)
3)相部 剛ら:超音波内視鏡による胃病変の検討(第1報)─胃癌の深達度診断および早期胃癌へのレーザー照射後の効果判定のための基礎的研究─、Gastroent. Endosc., 26, 39(1984)
4)相部 剛:超音波内視鏡による消化管壁の層構造に関する基礎的、臨床的研究 (1) 胃壁の層構造について、(2)食道壁、大腸癌の層構造について、Gastroent. Endosc., 26, 1447(1984)

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