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パリエットについて

パリエット開発物語

掲載記事は発行時(2007年)の内容です。

【出典】「医療」61巻1号63-64頁2007年より転載

はじめに

エーザイ筑波研究所でのパリエット開発プロジェクトの発足は、奇しくもオメプラゾールがラット・カルチノイドの発生によりFDAから臨床試験中止勧告を受けた年であった。

   エーザイでは、1984年粘膜防御剤のテプレノンがセルベックスとして発売され、日本の消化性潰瘍治療におけるベース薬としての基盤づくりがスタートした年でもあった。その時期はシメチジンがH2受容体拮抗薬(H2RA)として大いに話題となってきており、セルベックスを補強すべきパイプラインが必要であった。粘膜防御剤を有するエーザイとして次戦略として酸分泌抑制剤を開発するために立ち上げたのがPPIプロジェクトである。セレンディビティーとカルチノイドの課題を背負っての船出であった。

パリエット開発部

パリエット開発部

エーザイ科学賞授賞式」にて
右から
元探索研究部 PRTリーダー 左右田氏
上田氏
柴田氏
宮澤氏
藤崎氏
初期リーダー 藤本氏
室長 若林氏
安全性研究所 青木氏
元臨床開発部 伊藤氏

故人 藤本昌俊さん

初期チームリーダー
エーザイ株式会社 元探索研究部三室/故人 藤本昌俊さん

犬・人のマネージメント能力に優れた熱血漢。彼なしではパリエットは語れない。彼の言葉、『「お父さん、エーザイで何をやってきたの?」と子ども達に聞かれて、「パリエットを創ったんだよ」とようやく言えるようになった』という言葉には胸が熱くなった。1997年に承認を得た後の2001年1月9日、54歳の若さで食道癌で亡くなった。

現医薬統括部医薬部 村上 学

著者
エーザイ株式会社 元創薬研究本部/現医薬統括部医薬部 村上 学

パリエット開発のエピソード  村上 学

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